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本文4 [『教行信証』精読2(その135)]

(9)本文4

 念仏と諸善の比校対論のあと、本願一乗海がさまざまな譬えをもちいて讃嘆されます。

 敬つて一切往生人にまうさく、弘誓一乗海は、無碍無辺、最勝深妙、不可説不可称不可思議の至徳を成就したまへり。なにをもつてのゆゑに、誓願不可思議なるがゆゑに。悲願はたとへば大虚空のごとし、もろもろの妙功徳広無辺なるがゆゑに。なほ大車のごとし、あまねくよくもろもろの凡聖を運載するがゆゑに。なほ妙蓮華のごとし、一切世間の法に染(ぜん)せられざるがゆゑに。善見薬王(ヒマラヤに産する薬樹)のごとし、よく一切煩悩の病を破するがゆゑに。なほ利剣のごとし、よく一切驕慢の鎧を断つがゆゑに。勇将幢(帝釈天が魔軍と戦うときに立てるはたぼこ)のごとし、よく一切のもろもろの魔軍を伏するがゆゑに。なほ利鋸(りこ)のごとし、よく一切無明の樹をきるがゆゑに。なほ利斧(りふ)のごとし、よく一切諸苦の枝をきるがゆゑに。善知識のごとし、一切生死の縛を解くがゆゑに。なほ導師のごとし、よく凡夫出要の道(生死の迷いから出る道)を知らしむるがゆゑに。なほ湧泉のごとし、智慧の水を出して窮尽(ぐじん)することなきがゆゑに。なほ蓮華のごとし、一切のもろもろの罪垢(ざいく)に染せられざるがゆゑに。なほ疾風のごとし、よく一切諸障の霧を散ずるがゆゑに。(本文5につづく)

 (現代語訳) 謹んですべての往生人たちに申上げます。本願一乗海は、何ものにも妨げられることはなく、ほとりもなく、この上なく深くて、ことばで言い表すことのできない不可思議な功徳に満ちています。なぜなら、不可思議な誓願によって成就されたからです。この誓願は大空のようです、もろもろの妙なる功徳が果てもなく広がっているからです。大いなる車のようです、例外なくすべての凡夫・聖者を乗せることができるからです。蓮華のようです、世の穢れに染まらないからです。善見薬王のようです、一切の煩悩の病を癒してくれるからです。よく切れる剣のようです、一切の驕慢の鎧を断ち切るからです。帝釈天の幢のようです、一切の魔軍をひれ伏させるからです。よく切れる鋸のようです、一切の無明の樹を切り倒すからです。よく切れる斧のようです、一切の苦しみの枝を払うからです。善知識のようです、一切の生死の絆をほどいてくれるからです。よき導き手のようです、凡夫が生死の迷いから脱出できる道を教えてくれるからです。湧き出る泉のようです、尽きない智慧の水を与えてくれるからです。蓮華のようです、一切の罪業に染まらないからです。疾風のようです、一切の罪障の霧を吹きはらってくれるからです。

タグ:親鸞を読む
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