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本文7 [『教行信証』精読2(その207)]

(17)本文7

 いよいよ正信偈最後の源空讃です。まずは前半の4句。

 本師源空は仏教をあきらかにして、善悪の凡夫人を憐愍せしむ。真宗の教証を片州1に興す。選択本願悪世にひろむ。(本師源空明仏教、憐愍善悪凡夫人、真宗教証興片州、選択本願弘悪世)

 注1 かけらのような国ということで、日本のこと。

 (現代語訳) わが師、源空聖人は仏の教えとは何かを明らかにして、善悪の凡夫人を哀れみ、浄土真実の教えをこの日本の国に興してくださいました。そして選択本願を五濁悪世に弘めてくださったのです。

 「仏教を明らかにする」という言い回しに惹かれます。一口で仏教と言っても、釈迦自身の原始仏教からはじまり、細かいグループに分かれて煩瑣な論争を繰り返した部派仏教(いわゆる小乗仏教)、そしてそうしたありように不満をもった人々の中からあらわれてきた大乗仏教というように複雑な経緯を経て、その結果として八万四千といわれる法門が開かれてきたわけで、いったいどこに仏教があるのか、もう途方に暮れてしまうようなありさまであると言わなければなりません。そんななかでわが源空聖人は「仏教とは念仏である」と明らかにしてくれたというのです。
 それにしても、どうしてこうも大胆なことが言えるのでしょう。この問いに対する最も適切な答えは選択集の次のことばです。「もしそれ造像起塔をもって本願とせば、貧窮困乏の類は定んで往生の望を絶たむ。しかも富貴の者は少なく、貧賤の者は甚だ多し。もし智慧高才をもって本願とせば、愚鈍下智の者は定んで往生の望を絶たむ。しかも智慧の者は少なく、愚痴の者は甚だ多し。もし多聞多見をもって本願とせば、少聞少見の輩は定んで往生の望を絶たむ。しかも多聞の者は少なく、少聞の者は甚だ多し。もし持戒持律をもって本願とせば、破戒無戒の人は定んで往生の望を絶たむ。しかも持戒の者は少なく、破戒の者は甚だ多し。自余の諸行、これに准じてまさに知るべし」。これは選択集の中でいちばん法然らしいことばではないでしょうか。

タグ:親鸞を読む
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