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これより西方に [『阿弥陀経』精読(その6)]

(6)これより西方に

 正宗分に入ります。

 その時、仏、長老舎利弗に告げたまはく、「これより西方に、十万億の仏土を過ぎて世界あり、名づけて極楽といふ。その土に仏まします、阿弥陀と号す。いま現にましまして法を説きたまふ。舎利弗、かの土をなんがゆゑぞ名づけて極楽とする。その国の衆生、もろもろの苦あることなく、ただもろもろの楽を受く。ゆゑに極楽と名づく。

 いよいよこれから無問自説がはじまりますが、いきなり極楽とよばれる世界があり、しかもそれはここから西方十万億土を過ぎたところで、そこに阿弥陀という名の仏がおわすと宣告されます。すでに『大経』を聞いたことがある人なら、「ああ、あの安楽浄土と阿弥陀仏のことか」と思うでしょうが、はじめて聞く人はこんなふうに説きはじめられてどんな印象をもつでしょうか。
 『大経』の場合は、法蔵という名の国王が世自在王仏の説法を聞いて、安楽浄土を建立し一切衆生をそこへ迎えて安心を与えたい、それまでは仏となるまいという大いなる誓願を立て、それが成就することで阿弥陀仏となられたというように、浄土と阿弥陀仏が登場してくる経緯が説かれていますからまだしもですが、『小経』では何の前おきもなく、いきなり西方十万億土を過ぎて極楽があり、そこに阿弥陀仏がおわすと言われるのですから、これをはじめて聞いた時にどんな反応がおこるでしょう。
 「へえー、そんな見も知らない世界があるのか」というのが普通の反応ではないでしょうか。はじめて太平洋を目の前にした子どもが、この海をどんどん東に行けば、はるか向こうにアメリカというでっかい国があるんだよと教えられ、「へえー、そんな国があるんだ」と目を丸くするようなものです。ここからとんでもなく離れたところにアナザ-ワールドがあるという驚きが最初の反応だろうと思われます。しかもそこは「もろもろの苦あることなく、ただもろもろの楽を受く」と言うのですから、「いったいどんな世界だろう」という好奇心も起こるに違いありません。

タグ:親鸞を読む
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