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自力称名のひとはみな [親鸞の和讃に親しむ(その102)]

(2)自力称名のひとはみな

自力称名のひとはみな 如来の本願信ぜねば うたがふつみのふかきゆゑ 七宝の獄にぞいましむる(第65首)

自力念仏する人は、弥陀の本願信ぜずに、疑う罪が深いゆえ、七宝の獄に入れられる

「如来の諸智を疑惑」することと「罪福信じ善本をたの」むことは裏腹の関係であると言いましたが、それがここでは「如来の本願信ぜ」ぬことと「自力称名」することとして具体化されています。「如来の諸智を疑惑」することは弥陀の本願を疑うことであり、「罪福信じ善本をたの」むことは自力称名して往生を得ようとすることです。

親鸞は妻・恵信尼によりますと「比叡の山に堂僧つとめておはしましける」(『恵信尼消息』第1通)とのことですが、堂僧といいますのは常行堂で常行三昧を勤める僧のことです。延暦寺における常行三昧の様子をテレビの正月番組で観たことがあります。延暦寺は東塔・西塔・横川の三つのゾーンに分かれますが、常行堂は西塔にあり、隣の法華堂と渡り廊下でつながっています(弁慶がその渡り廊下を天秤棒にして担いだということから、にない堂の呼び名があります)。常行堂は10メートル四方の建物で、真ん中に阿弥陀像が安置され、その周囲を七日もしくは九十日の間、念仏を称えながら廻りつづけるというのが常行三昧で、その間坐ったり横になったりすることは許されません。阿弥陀像の周りに竹の手すりがあり、疲れたときはそれを頼りとしながら歩き、休むときは天上から吊り下げられた紐に取りつきます。何とも壮絶な修行と言わなければならず、朦朧とした状態で歩きながら壁にぶつかることも稀ではないそうです。これが「自力称名のひと」のありようで、常行三昧により仏を眼前に見ることをめざしています。

しかし親鸞はこのような修行に行き詰まりを感じたに違いありません、二十九歳のとき山を下りて六角堂に百日籠るという決断をします。再び恵信尼の手紙に、「山を出でて、六角堂に百日籠らせたまひて、後世をいのらせたまひけるに[往生浄土を願われたが]、九十五日のあか月[暁]、聖徳太子の文を結びて、示現にあづからせたまひて候ひければ[夢に聖徳太子が姿を見せられ]、やがて[すぐに]そのあか月出でさせたまひて、後世のたすからんずる縁にあひまゐらせんと、たづねまゐらせて、法然上人にあひまゐらせて云々」とあります。覚如の『伝絵(伝ね、親鸞の伝記)』には、六角堂に参籠していた親鸞の夢に救世観音が現われ、次のように告げたと言われます、「もしあなたに女犯の宿業があるのなら、わたしが玉のような女となってあなたにつれ添い、浄土に往生させましょう」と。この夢告を受けてすぐ東山吉水の法然を訪ねたのは、法然の専修念仏は、煩悩を具足したままで救われる道を説くものであったからでしょう。煩悩を克服するための念仏ではなく、煩悩のままで救われる念仏が吉水にあると思われたからに違いありません。


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