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上品上生といふは [『観無量寿経』精読(その56)]

            第5回 三心を具するものは

(1)上品上生といふは

 第十三観まで終わり、つづいて突然こうはじまります。

 仏、阿難および韋提希に告げたまはく、「上品上生(じょうぼんじょうしょう)といふは、もし衆生ありて、かの国に生ぜんと願ずるものは、三種の心を発(おこ)して即便(すなわち)往生す。なんらかを三つとする。一つには至誠心(しじょうしん)、二つには深信、三つには回向発願心なり。三心を具するものは、かならずかの国に生ず。また三種の衆生ありて、まさに往生を得べし。なんらかを三つとする。一つには慈心にして殺さず、もろもろの戒行を具す。二つには大乗方等経典を読誦す。三つには六念(仏・法・僧・戒・施・天を心静かに念ずる)を修行す。回向発願してかの国に生ぜんと願ず。この功徳を具すること、一日乃至七日してすなはち往生を得。かの国に生ずる時、この人、精進勇猛なるがゆゑに、阿弥陀如来は、観世音・大勢至・無数の化仏・百千の比丘・声聞の大衆・無数の諸天・七宝の宮殿とともに。観世音菩薩は台(うてな)を執(と)りて、大勢至菩薩とともに行者の前に至りたまふ。阿弥陀仏は、大光明を放ちて行者の身を照らし、もろもろの菩薩とともに手(みて)を授けて迎接(こうしょう、来迎引接)したまふ。観世音・大勢至は、無数の菩薩とともに行者を讃歎して、その心を勧進したまふ。行者見をはりて歓喜踊躍し、みづからその身を見れば、金剛の台に乗ぜり。仏の後(しりえ)に随従して、弾指のあひだ(指をはじくほどの短い時間)のごとくに、かの国に往生す。かの国に生じをはりて、仏の色身の衆相具足せるを見、もろもろの菩薩の色相具足せるを見る。光明の宝林、妙法を演説す。聞きをはりてすなはち無生法忍を悟る。須臾のあひだを経て諸仏に歴事(りゃくじ、諸仏につかえる)し、十方界に遍して、諸仏の前(みまえ)において次第に授記せらる。本国に還り到りて無量百千の陀羅尼門(だらにもん、もろもろの善法を保持する力)を得。これを上品上生のものと名づく。

 いかがでしょう、これまでの叙述との間に大きな落差があることを感じられたと思います。これまでは浄土の荘厳と仏・菩薩の姿を観ることが説かれてきたのですが、ここに来て何の説明もなく浄土に往生する行人についての話に急転します。往生するものにもさまざまあり、それに応じて往生の形にもいろいろあるが、まずはその上品上生(下品下生まで九種あります)から始めようというわけです。

タグ:親鸞を読む
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