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8月5日(木) [矛盾について(その9)]

 これまでの議論を改めて整理しておきましょう。矛盾ということばはあいまいで、元々は人々の言うこと(言説)のつじつまが合わなくなることを指していたはずですが、「社会の矛盾」というように、現実そのものに矛盾があるかのような使用法もあります。しかし現実のどこを探しても矛盾を見出すことはできません。矛盾とは「A、かつ、Aではない」という形をしていますが、「ではない」という否定はことばの中にしかなく、現実の世界を隈なく探してもどこにもありませんから、矛盾が現実の中に発生することはありえないのです。
 かくして矛盾は言説の中だけということになるのですが、ここに厄介な問題が登場します。言説にはすでにある事実を記述するもの(陳述文)と、それ自体が行為として新たな事実を生み出すもの(遂行文)とがあるのです。例えば、「あの窓は閉まっている」という言説と「あの窓を開けてもらいたい」という言説。前者は窓が閉まっているという事実を記述しているのに対して、後者は誰かに窓を開けることを要求しています。前者では、窓が閉まっているという事実と、それを記述することは別ですが、後者では、要求の内容と要求することは一体で切り離すことはできません。こう言っても同じです。前者では、窓が閉まっていると記述しようがしまいが、そんなことには関係なく窓は閉まっていますが、後者では、窓を開けて欲しいと言うことによってはじめて窓を開けることを要求しているという事実が姿を現すのです。
 としますと矛盾にも二種類あることになります。事実記述の矛盾と意思表明の矛盾と。
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