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矛盾について(その33) ブログトップ

8月29日(日) [矛盾について(その33)]

 先回、ことがらを正しく「見る」ことが何より大事と考えるのが伝統的に力をもってきたと言いました。正しく「見る」ことができれば、どのように「意思する」か、どのように「感じる」かも定まってくるから、やはり「見る」ことが肝心だと。
 しかし、どのように見るのが「正しい」のかは、非常に難しい問題を孕んでいます。あることがらに関係する事実は際限がありませんから、実際にはその中の限定された範囲を見ることしかできません。そしてどの範囲を見るかによって見方が異なってくるでしょう。
 同じ富士山でも、どの角度から見るかによって見え方が大きく違ってきます。静岡県側から見る富士山と山梨県側から見る富士山ではかなり印象が違います。客観的な事実とは言うものの、見る主観によって事実の姿も違ってこざるをえないのです。
 その際、どの角度から「見る」かは、どのように「意思する」かや、どのように「感じる」かによって左右されます。「見る」ことが「意思する」ことや「感じる」ことを規定するだけでなく、逆に「意思する」ことや「感じる」ことが「見る」ことを規定するのです。
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