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9月1日(水) [矛盾について(その36)]

 9月に入りましたが、この暑さ。新学期が始まり、教室は蒸せるような熱気がこもってさぞ大変だろうなと気の毒に思います。そして民主党の代表戦で菅氏と小沢氏が激突し暑さが一段と増しますが、その一方で、これまで裏でブスブスくすぶっていた対立が表に出て、互いに言いたいことを言い合うのは精神上非常によろしいかと思います。検討してきましたように、二つの意思が対立しているときは、それをとことんぶつかり合わせるしか手はありません。
 さて問題は「感じる」ことです。「感じる」ことが「意思する」ことを左右しているのは疑いありません。ぼくは小沢という人物がどうにも好きになれないのですが、それが菅さんを支持するという意思につながっています。政治的な議論がしばしば白熱して互いにつかみかからんばかりになるのも、意思の対立の背後に感情の対立があるからです。「感情的になるのはやめよう」と言われても、そもそも根っ子に感情的な対立があるのですから、カッカするのはやむをえません。
 どう感じるかは人それぞれで、しかもそれがどのような意思をもつかと深く結びついているのですから、ことは厄介です。意思が対立したときは、それぞれの意思をぶつかり合わせて、落ち着く先を見定めるしかないと繰り返し言ってきました。事実という客観的な基準がないのですから、妥当性の基準そのものを話し合いの中で見つけ出していくしかないのです。さてしかし、意思の対立の背後に感情の対立があるとしますと、落としどころを見つけることなど不可能に思えてきます。意思はどうにかなっても、感情はどうしようもないからです。

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