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矛盾について(その37) ブログトップ

9月2日(木) [矛盾について(その37)]

 また「ここはユダヤ人の土地だ」と「ここはアラブ人の土地だ」の対立を持ち出しますと、この問題が厄介なのは、背後に感情の軋轢があるからです。ユダヤ人の多くはアラブ人に対して悪感情を抱き、多くのアラブ人もまたユダヤ人を憎んでいます。このように「あいつらが憎い」という感情が根っ子にあり、それがすべての意思を色づけしてしまいますと、妥協することによって意思の対立を乗り越えることが極度に困難になります。
 としますと、憎しみが消えない限り、どうしようもないのでしょうか。
 「感じる」ことが「意思する」ことを強く規定しているのは疑いありませんが、直結しているのではないことにもう一度立ち返ることが必要です。実際に「感じる」ことの支配から逃れることは無理でも、「感じる」ことと「意思する」ことは別だと気づくことができれば、それに気づかない場合と比べて大きく違ってきます。誰かと激しく言い争っているとき、どうしてこう熱くなるのだろう、ひょっとして感情的な軋轢があるのではないかと思い至ることで、「冷静にならなければ」と考えるゆとりが生まれます。そう思ったからといって、直ちに冷静になれるものではありません。依然として感情に支配されたままですが、「これは感情が言わせているのだ」と思うことで、相手の言うことに耳を傾けてみようという気になるかもしれません。そして、双方がその気になりますと、妥協の道を探る雰囲気が生まれてきます。
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