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9月10日(金) [矛盾について(その44)]

 昨日は久しぶりに一泊旅行に出かけ、ブログを更新することができませんでした。
 仏教の矛盾に満ちた言説ー例えば「煩悩即菩提」ーは、にもかかわらずどうしてこうも深い真実を感じさせるのかを考えているのでした。
 「この矛はどんな盾も貫くことができるが、この盾はどんな矛も跳ね返す」ーこれが矛盾です。「この矛はどんな盾も貫くことができる」としますと、「この矛はこの盾も貫くことができる」はずです。当たり前です。ところが「この盾はどんな矛も跳ね返す」のですから、「この矛はこの盾を貫くことはできない」。「この矛はこの盾を貫くことができる」のに、「この矛はこの盾を貫くことができない」。「A、かつ、Aではない」、これが矛盾ですが、こんな言説には何の価値もありません。
 同じように、「煩悩即菩提」とは、「ここは居心地の悪い煩悩の世界である」のですが、その一方で、「ここは心安らぐ菩提の世界である」のですから、「ここは居心地の悪い煩悩の世界ではない」ということです。「ここは煩悩の世界である」のに、「ここは煩悩の世界ではない」。またもや「A、かつ、Aではない」で、こんな矛盾した言説はナンセンスのはずです。ところがこちらには深い真実を感じてしまう。 
 どちらも「A、かつ、Aではない」という同じ構造をしていながら、この違いは一体何でしょうか。
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