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9月15日(水) [矛盾について(その49)]

 もう10年近く前になるでしょうか、中国に旅行したとき、北京の公園はお年寄りで一杯でした。何をしているのかと言いますと、文革時代の革命歌を歌っているのです。このご時世にどうしたことかとガイドさんに尋ねますと、彼らは改革開放以前の時代をしきりに懐かしがっているのだと言います。
 改革開放以来、中国は豊かさを目指して驀進しているのですが、それは必然的に貧富の格差をもたらします。それまではみんな平等に貧しかったのですが、今やお隣と見比べなければならなくなりました。お隣はどんどん豊かになっていくのに、うちは…という悩みを抱え込むことになったのです。昔は貧しいことがちっとも苦にならなかったのに、今はそれが身にしみる。かくして昔はよかったなあ、となるのです。
 こう見てきますと、病気の苦しさにせよ、貧しいことの苦しさにせよ、元気な人や豊かな人と比べて「どうして自分は」と頭を抱えるところに苦しさの本質があります。病気や貧しさそのものが苦しいのではなく、他の人は元気で豊かなのに自分が病気で貧しいことが苦しいのです。「何であいつではなく、このオレが」と苦しんでいるのです。
 釈迦が苦しさの元は煩悩だと考えたのは、そのことに関係します。
 体のどこかが激しく痛むことは、医者がその原因を特定してくれるでしょう。どうしてこんなにもお金がなくて辛いのかは、その時期の社会情勢や自分自身の置かれている状況が説明してくれます。それらは決して煩悩の所為ではありません。煩悩は「どうしてあいつではなく、このオレが」に関係するのです。
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