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矛盾について(その63) ブログトップ

9月29日(水) [矛盾について(その63)]

 カルチャーセンターで親鸞の話をしていまして、ある方から「どうして煩悩、煩悩と人間の暗い側面ばかり強調するのでしょうね。もっと人間を肯定的に見られないものでしょうか」と質問(というより難詰でしょうか)されたことがあります。確かに親鸞の話となりますと、「罪悪深重、煩悩熾盛の衆生」とか「地獄は一定すみかぞかし」とか「煩悩具足のわれら」などということばがいたるところに出てきます。親鸞ほど人間の中の悪をじっと見つめた人はいないでしょう。そこから上のような感想が漏れてくるのです。
 人間の中の暗い面に目を注ぐか、それとも明るい面を強調するか、それはその人の人間観によるように思えます。これは、ぼくらが人間を見るときに、その人の視点によって見え方が違ってくるということでしょうか。富士山を見るとき、静岡側から見るのと、山梨側から見るのとでは、その見え方が違ってくるように。もしそうでしたら、それぞれの見え方はそれぞれに一面的だということで、それらの見え方をできるだけ多く綜合して、より客観的な像を探っていかなければなりません。
 しかし「われらは煩悩に悩まされている」というのは、人間を「見る」ときの一つの見方ではありません。
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