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9月30日(木) [矛盾について(その64)]

 「われらは煩悩に悩まされている」とは、人間をどう「見る」かに関する「事実の記述」ではありません。
 煩悩は「見る」ものではないのです、「感じる」ものです。人間をどの角度から見ても、煩悩はどこにも見えません、ただヒリヒリと感じられるだけです。
 「見る」と「感じる」―これまでの議論をおさらいしておきましょう。ぼくが何かを「見る」とき、こちらにぼくがいて、向こうに何かがあります。しかし、ぼくが何かを「感じる」ときは、向こうから何かがやってきて、気がついたときには、ぼくはもうそれに占領されているのです。
 「見る」ことは、その気になればやめることができますが、「感じる」ことは、やめようと思ってやめられるものではありません。なぜかと言えば、「見る」ことは、ぼくがそうしようと思ってしているのですが、「感じる」ことは、否応なくそうせざるを得ないのです。
 こんなふうに、「見る」ぼくと見られる何かは別ですが、「感じる」ぼくと感じられる何かは一体です。つまり、ぼくが見なくても、見られる何かはちゃんと存在します(客観的とはそういうことです)が、ぼくが感じなければ、感じられる何かはどこにも存在しません。
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