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10月3日(日) [矛盾について(その67)]

 煩悩である怒りと煩悩ではない怒りがあるわけではなく、煩悩と感じる怒りと煩悩とは感じない怒りがあるだけでした。
 もちろん、もっともな怒りだと思える怒りと、そうは思えない怒りの違いはあります。一人息子が無惨に殺されたことに対する怒りはもっとも至極で、それに怒りを覚えないのはどうかしていると言わなければなりません。でも、そのことと、その怒りを煩悩と感じることとは別の話です。どんなにもっとも至極な怒りでも、それを煩悩と感じることはあるのです。
 どんなふうにして一人息子が殺された怒りを煩悩だと感じられるのだ、という抗議の声が聞こえてきます。
 ぼくは一人息子を殺されるという経験をしていませんが、最初の子を生まれて3日後に亡くしています。比べられるものではないということは百も承知の上で言うのですが、わが子を理不尽に取り上げられたという点では共通しています。そんなとき、真っ先に頭に浮かぶのは「なんで?」ということばではないでしょうか。これはいろんな意味をいっぱい含んでいますが、その中に「なんで、わが子が?」というつぶやきが混ざっています。
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