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10月5日(火) [矛盾について(その69)]

 改めて確認しておきたいのは、煩悩とは感じるものであること、したがって感じない人には煩悩なんてどこにもないということです。としますと「われらは煩悩に悩まされている」という文は客観的な事実を記述しているのではなく、「わたし」がそのように感じるということを述べているのです。「イルカ漁は残酷だ」という文は一見「イルカ漁」が主語のように見えますが、実は「わたし」が主語です。この文は「(わたしは)イルカ漁は残酷だ(と感じる)」の省略形です。同じように「われらは煩悩に悩まされている」の主語は「われら」ではなく「わたし」で、この文は「(わたしは)われらは煩悩に悩まされている(と感じる)」の省略形です。
 煩悩に悩まされていると感じているのは「わたし」です。しかし「わたし」だけが煩悩に悩まされているのではなく、みんなも同じように煩悩に悩まされていると感じるのです。感じるのはこの「わたし」に他なりませんが、煩悩に悩まされているのは「わたし」だけではなく「われら」。これはしかし越権行為のように見えるかもしれません。感じることができるのは「わたし」のことだけだけなのに、「わたし」以外のみんなについても同じように煩悩に悩まされているというのは勝手な推測にすぎないように思えます。
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