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10月11日(月) [矛盾について(その75)]

 「どうして“みんな”ではなく“わたし”だけが菩提の境地にいると感じることはないのか」という疑問が出されるかもしれません。それに答えるには、もう一度「見る」ことと「感じる」ことの違いに戻らなくてはなりません。何かを「見る」ときは、まずわたしがいて、しかる後に何かを見るのですが、何かを「感じる」ときは、まず何かがあって、しかる後にわたしがそれを感じるのです。こう言ってもいい。「見る」というのは、わたしが何かをキャッチするのですが、「感じる」場合は、何かがわたしをキャッチするのです。わたしが何かをキャッチしたときは、キャッチしたのは他の誰でもなくこのわたしですが、何かがわたしをキャッチしたときは、それはわたしだけをキャッチしたのではなく、みんなをキャッチしたに違いありません。
 もしわたしが菩提をキャッチしたのでしたら、みんなではなくわたしだけが菩提の境地にいることになるでしょうが、そうじゃなく菩提がわたしをキャッチしたのでしたら、菩提はわたしだけでなくみんなをキャッチしたに違いありません。したがってわたしだけでなくみんなが菩提の境地にいることになります。さて菩提は「見る」ものではなく「感じる」ものです。つまりわたしが菩提をキャッチするのではなく、菩提が私をキャッチするのです。としますと、わたしだけが菩提の境地にいるのではありません。みんなが菩提の境地にいるのです。
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