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10月13日(水) [矛盾について(その77)]

 「みんなが救われている」などと言うのは、「救い」ということばの通常の使い方から外れているのではないかということです。
 救いは「求める」のものか、それとも「与えられる」ものか、ここに鍵があります。「求めよ、さらば与えられん」と言います。としますと「求める」ことと「与えられる」ことは別ではなく、「求める」から「与えられる」ということです。でも、この「求めるから与えられる」は正真正銘の「与えられる」ではありません。「求める」ことの見返りに「与えられる」のですから、実は自分で手に入れているのです。それに対して、正真正銘の「与えられる」は、「求めもしないのに与えられる」ことです。「向こうから一方的に与えられる」、これがほんとうの「与えられる」です。
 普通は、救いを「求める」ものです。いま救われていないから、必死の思いで救いを求める、これがすべてのスタートです。仏教ではこれを「発菩提心」と言います。菩提(救い)を求めるこころを起こすということです。法然の人格・学識を高く評価していた明恵が『選択本願念仏集』を一読するや、ここには仏教にとって一番肝心な発菩提心がないと激しく論難したことはよく知られています。どうにかして菩提を得よう、悟りを目指そうという思い、これのないものは去れ、ということです。
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