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10月16日(土) [矛盾について(その80)]

 「われらはいまだ救われていない」と「われらはもうすでに救われている」。
 前に「イルカ漁は残酷だ」と「イルカ漁は残酷ではない」の対立について考えました。これは「事実の記述」を巡る対立(例えば「イルカ漁は大地町で行われている」と「イルカ漁は大地町で行われていない」の対立)や、「意思の表明」を巡る対立(例えば「イルカ漁は禁止すべきだ」と「イルカ漁は認めるべきだ」の対立)と違って、事実に当たってどちらが正しいかを判定したり、話し合いの中で落としどころを探ることはできません。ではどうすればいいのか。どうしようもありません。ただぼくらにできるのは、そうした感情の対立があるということをはっきり自覚することだけです。
 さてここで見ておかなければならないのは、「残酷だ」と感じるのと「残酷ではない」と感じるのはあくまで「対立」ですから、そうした事態はないに越したことはない(だからこそ、対立したらどうしようと頭を悩ます)のですが、「救われていない」と感じるのと「救われている」と感じるのは、なるほど形の上では対立していますが、実は「救われていない」と感じるからこそ「救われている」と感じるのであり、また「救われている」と感じるからこそ「救われていない」と感じるのです。両者は対立しているように見えながら、実は互いに支えあっているのです。
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