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10月18日(月) [矛盾について(その82)]

 「救われていない」から「救われている」―ここにはどんな秘密が隠れているのか。
 もう一度「救われていない」と感じる現場に戻りたいと思います。「さあこれからというときに大病に罹ってしまった。どうやらこれは死に至る病のようだ。医者も家族もはっきりしたことは言ってくれないが、残された時間はそれほどないような気がする」―こんな状況に置かれたとしましょう。
 そんなとき、病気そのものがもたらす苦しみ(痛さ、だるさ、身体が思うようにならない、死の不安等々)とは別に、「なんでこのオレが」という苦しみがあると述べました。激しい頭痛に襲われるたびに、「ああ辛い」という思いの底で「なんでオレが」と歯噛みし、「残された時間はわずかしかない」という思いとともに、「なんでオレが」のため息が漏れる。こんなふうにあらゆる苦しみの底には「なんでオレが」の思いがあります。
 でもこれは苦しみに打ちひしがれているだけで、「救われていない」と感じているのではありません。ただ「なんでオレが」と髪の毛をかきむしっているだけで、それが煩悩であることに気づいていません。「これは煩悩だ」と感じるのは、「なんでオレが」と思いながら「あいつならいいのか」と反問するときです。「オレが死に至る病に罹ったことが理不尽なら、あいつがそうなることも理不尽ではないのか」と問うときです。
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