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10月19日(火) [矛盾について(その83)]

 「あいつならいいのか」。この問いによってはじめて「なんでオレが」の思いは「オレが、オレが」という「われへのとらわれ」であることが明らかになります。そしてこの我執を目の当たりにして「救われていない」という思いが湧き起こるのです。「救われていない」と言うより「救われない」あるいは「度し難い」と言う方がいいのかもしれませんが、ともかく「これは煩悩だ」と感じるというのはこういうことです。
 何かを「感じる」というのは、ぼくが何かをキャッチするのではなく、何かがぼくをキャッチすることでした。ぼくが「これは煩悩だ」をキャッチするのではなく、「これは煩悩だ」がぼくをキャッチするのです。いまの場合「あいつならいいのか」の問いがぼくのこころに突き刺さり「これは煩悩だ」という気づきをもたらしたのですから、「あいつならいいのか」の問いが向こうからやってきてぼくをキャッチしたのです。
 こう言った方がいいでしょうか、どこかから「あいつならいいのか」という声が聞こえてきて、ハッとさせられたと。
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