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10月21日(木) [矛盾について(その85)]

 ここで「椅子取りゲーム」を考えてみましょう。単純なゲームですが、いや、単純だからでしょう、結構人気のあるゲームで、高校生たちにクラスレクレーションとしてこれをやらせるといつまでも飽きずにやっています。しかしこのゲームは生きることの酷さを見せつけてくれます。誰かが椅子にあぶれて退場しなければならないことを思い知らせてくれるのです。
 首尾よく椅子に座れた人は「やれやれ」ですが、あぶれた人は「しまった」となります。ゲームですから「しまった」で済みますが、これがほんとうに生きる場所を巡る争い(入学、就職、結婚などなど)でしたら「なんでオレが」となり、そしてそのとき「あいつならいいのか」の声が聞こえてくるのです。
 このゲームは「みんなにひとしく生きる場所がある」のではないことが前提となっています。椅子の数は参加者の数より少なくしてありますから、誰かはあぶれる。誰かがあぶれる宿命ですから、誰があぶれたとしても仕方のないことです。ところが、実際の人生では、座れた人は「やれやれ」と安堵しながら「オレは誰かを押しのけて生きている」と居心地の悪さを感じ、あぶれた人は「なんでオレが」と思いながら「あいつならいいのか」と煩悶しています。
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