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10月23日(土) [矛盾について(その87)]

 「みんなにひとしく生きる場所がある」は「事実の記述」ではなさそうです。ではこの声は「みんなにひとしく生きる場所があるべきだ」と主張しているのでしょうか。つまり「意思の表明」でしょうか。ぼくらは一方で「自分には生きる場所があるべきだ」と主張しながら、それと同時に「みんなにも生きる場所があるべきだ」と主張しているのだということです。
 ぼくらは自分の生きる場所を要求しますが、だからと言って他の人はどうでもいいと考えているのではないでしょう。なかにはそんなエゴイストもいるかも知れませんが、まあ多くの人はみんなに生きる場所がなければならないと思います。としますと「みんなにひとしく生きる場所がある」は一つの「意思の表明」と考えていいのではないかと思えます。
 生存権ということばがあります。日本国憲法には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(第25条)と書かれています。これはぼくら国民一人ひとりが「自分には人間らしく生きる権利がある」と主張できるとともに、どこかに人間らしい生活をしていない国民がいれば「彼にも人間らしく生きる権利がある」と主張できるということです。これは「みんなにひとしく生きる場所がある」とぴったり同じと言っていいでしょう。
 ただ、問題はこの「みんな」です。
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