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10月25日(月) [矛盾について(その89)]

 「みんなにひとしく生きる場所がある」という声は事実を記述しているのでも、意思を表明しているのでもないようです。そもそも「事実の記述」も「意思の表明」も「こちらから」見たことを記述したり自分の意思を表明することですが、この声は「向こうから」聞こえてくるのですから「事実の記述」や「意思の表明」であるはずがありません。
 ぼくらがこの声をキャッチするのではなく、この声がぼくらをキャッチするのです。この声がぼくらを鷲づかみにするものですから、ぼくらは「誰かを押しのけている」と感じたり、「あいつならいいのか」と自問せざるをえないのです。
 そしてそのときの「みんなにひとしく」は「まず自分、しかる後にみんな」ではありません、文字通り「みんなにひとしく」です。しかし世の中どこを見回しても文字通りの「みんなにひとしく」はどこにも見当たりません。
 日本国憲法第25条も「すべて国民は、健康で文化的な〈最低限度の〉生活を営む権利を有する」と書いてあり、「健康で文化的な〈ひとしい〉生活を営む権利を有する」とは書いていません。最低限のことは政府が責任をもって保障しなければならないが、それから先は本人の努力次第ということです。最低限の保障すらなかなか困難であることはリーマンショック後の金融危機の際にあらわになりました。
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