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10月27日(水) [矛盾について(その91)]

 現実には文字通りの「みんなにひとしく」なんてどこにも存在しません。ところが向こうから「みんなにひとしく生きる場所がある」という声が聞こえてきます。ただ聞こえるだけではなく、それがぼくらに「誰かを押しのけている」と居心地を悪くさせ、「あいつならいいのか」と煩悶させるのです。つまり煩悩の存在に気づかせるのですが、一体この声の正体は何でしょう。これまでのところではっきりしたのは、それはぼくら自身の声ではないということです。「こちらから」発する声ではなく、「向こうから」やってくる声だということです。
 この間のことですが、森岡正博氏の講演を聞く機会がありました。彼は「生命学」という新しい学問を立ち上げようとしているユニークな学者で、前々から気になっていた人ですが、ある講座で「脳死臓器移植から見る〈いのち〉」という話をされたのです。一番印象に残ったのは「脳死の人(これは彼独特のことばです)とのことばにならない会話」をどう考えるかという点でした。脳死状態ですから話しかけても聞こえないはずなのに、どうして声をかけたりするのだろうという問いです。家族としては、脳が機能しなくなっているとしても、まだ心臓が動き身体も温かいのですから死んでいるとは思えず、つい声をかけてしまうのでしょうが、これをどう考えるか。
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