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10月29日(金) [矛盾について(その93)]

 あるものに声をかけるのは、声をかけたくなるからに違いありませんが、どうして声をかけたくなるかと言いますと、そのときすでにそちらから声が聞こえているからです。ぼくらが遺影に向かって「ただいま」と声をかけるのは、それに先立ってそちらから「おかえり」という声が聞こえたからです。ふと写真の中の母の笑顔を見ると、そこから「おかえり」の声がする。だからこそ亡き母に向かって「ただいま」と挨拶するのです。それを傍から見れば、誰もいないところで「ただいま」と独り言をしているとしか見えませんが、紛れもなく「おかえり」という声が聞こえているのです。
 森岡氏は、あるものに声をかけたくなるからには、それにそのような作用を及ぼす力があるに違いない、それは一体何か、というように考えを進めます。これは、ある結果があるからには、そこに何らかの原因があるはずだということで、ごく当たり前の発想です。ニュートンは、りんごが木から落ちるという現象を見て、そういう結果をもたらす原因があるはずだと考え、それは地球がりんごを引っ張っているからだと推論しました。これが万有引力の発見につながったのですが、ぼくらも日々この原因・結果の発想のもとに生きていると言っていい。いまの例で言いますと、「おかえり」という声が聞こえたからには、そう言った何ものかがいるはずで、「それは何か」と追及していくのです。犯人は誰だ、という発想。
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