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11月6日(土) [矛盾について(その101)]

 「みんなにひとしく生きる場所がある」という声が聞こえてきて、自分の中の煩悩に気づくのですが、この「どこかから声がする」という事態をどう考えたらいいのだろうということで、森岡氏の講演を引き合いに出したのでした。森岡氏ならずとも、この声は一体どこからやってくるのか、それを発する主体は何ものかというように頭が働くのですが、それはこの声の正体は何かを見ようとしています。こちらから声の正体をつかまえようとしています。これはこころの自然な動きですが、この試みはどこまで行っても「よし、つかまえた」という結末には至りません。「つかまえた」と思った瞬間、「それは何か」という新たな問いにせめられ、「今度こそつかまえた」と思ったら、また「それは何か」に苦しめられる。
 これまで上げた例ですと、脳死の人であれ、遺影であれ、道ですれ違う見知らぬ人であれ、声はそこからやってくるに違いないと思わせる何かがあります。実際にそれらから声がきているのではありませんが、それでもきっとその辺りからくるのだろうと推測させます。しかし「みんなにひとしく云々」という声は、どこからやってくるのか、その方角すら定かではありません。どこかから聞こえてくるとしか言えません。発信源が見当たらないことから、それはいわゆる良心の声ではないかと言う人もいるのではないでしょうか。何か悪いことをしようとして、それを制止する声が聞こえてくる。これはしかし「わが内なる声」です。
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