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11月9日(火) [矛盾について(その104)]

 何度も言いますように、「こちらから」何かをつかまえようとする限り、どこまでも追いつけないという宿命から逃れることはできません。そこで「こちらから」何かをつかまえようとするのを停止(フッサールの「エポケー」)して、「向こうから」やってくる声に身を任せるのです。
 実際、この声が聞こえてきたとき、これはどこから来るのかを詮索する気など起こりません。重い病に冒されて「何でオレが」と頭をかきむしりながら、ふと「あいつならいいのか」の声に頬を打たれたようになる。「何でオレが」は煩悩に他ならないことを目の前に突きつけられるのです。「ああ、これは煩悩だ」と気づいて悲しみに胸が塞がります。そんなとき、この声は一体どこから来るのか、誰が言っているのかと辺りを探し回るでしょうか。
 そんなふうにするのは、その声に打ちひしがれていないからです。打ちひしがれるどころか「誰だ、そんなことを言うヤツは」と反発しています。「何でオレが」と思って当然じゃないか、何が悪いと開き直っているのです。その人には「あいつならいいのか」の声は届いていないと言わざるを得ません。
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