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11月11日(木) [矛盾について(その106)]

 「苦しみ」から「嘆き」へ、そして「嘆き」から「悲しみ」へ。
 煩悩に気づくのは悲しいことです。「何でオレが」と嘆いていたときは、まだ怒りを周りに発散して、いわばガス抜きができていたのですが、それは煩悩だと思い知らされますと、もうどん詰まりの袋小路に入ったようなものです。救いがありません。
 そのときです、救いがないのに、もう救われていると感じるのは。
 微妙なところにさしかかりました。「救いがないのに、もうすでに救われている」とはどういうことでしょう。「あいつならいいのか」の声は「みんなにひとしく生きる場所がある」と言っているのでした。「お前は“何でオレが”と言うが、裏返せば“あいつならいい”ということになる。しかし、みんなにひとしく生きる場所があるのだ」ということです。
 かくして「オレが、オレがと喚いている自分が救われるはずがない」という悲しみに暮れることになるのですが、そのときこの声は「お前にも生きる場所がちゃんとある」と言ってくれていることに気づくのです。「あいつにも生きる場所があるように、お前にだってひとしく生きる場所がある」と。これは「そのままで救われている」ということです。
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