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11月21日(日) [矛盾について(その115)]

 「みんなにひとしく生きる場所がある」は「意思の表明」かどうか。 
 どちら側に立つかです、「みんなにひとしく生きる場所がある」と言う側に立つか、それを聞く側に立つか。言う側からすれば、これは「みんなにひとしく生きる場所があってほしい」という「意思の表明」に他なりません。
 しかし聞く側からすれば、これは事実を記述しているのではありませんし、もちろん意思を表明しているのでもありません。ただ向こうから聞こえてくる不思議な声を受け止めているだけです。それを受け止めることで「こんな自分は救われない」と悲しみ、同時に「こんな自分が救われる」と喜ぶのです。
 この区別が曖昧になりますと、「みんなにひとしく生きる場所がある」が自分の内から発せられる声となり、その場合は自分が「みんなにひとしく生きる場所がなければならない」という意思(願い)を表明していることになります。しかしそうしますと、たちどころに「まず自分、しかる後にみんな」に変質してしまうことはすでに繰り返し述べたとおりです。
 ぼくらはあくまで聞く側であって言う側ではないということ、何度でもこの原点に立ち返らなければなりません。
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