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11月26日(金) [矛盾について(その120)]

 これまでの話を整理しますと、「救われない」という悲しみと「救われている」という喜びが一体となっているのは「みんなにひとしく生きる場所がある」という声が「あなた」から届けられるからだということでした。この声が一方では「救われない」という悲しみをもたらし、でも同時に「救われている」という喜びを与えてくれるのです。もしこの声が届かなければ悲しみもない代わりに喜びとも無縁のままです。
 悲しみと喜び。普通は、悲しみがあるということは取りも直さず喜びがないということです。喜びがあるということは悲しみがないということです。
 確かに「悲しみがあるからこそ喜びがある」と言われることがあります。悲しみの深さを経験した人だけがほんとうの喜びを味わえるということで、それは人生の真実と言うべきでしょう。でもそれは、あるとき悲しみのどん底にいた人が、後にそれを克服して本物の喜びを手に入れるということで、そこには時間の経過があります。悲しみのどん底にいるときは、もうひたすら悲しみしかなく、そこから抜け出すことができれば、そこには喜びがあるばかりでしょう。
 悲しみがあるまさにそのときに喜びがあるということは考えられません。
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