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12月3日(金) [矛盾について(その127)]

 実際に罪を犯した人を前にしたとき、自分も心の中で罪を犯していると感じるかどうかで対応が大きく変わってきます。そんなふうに感じない人は、犯罪人と自分とは全く違う世界に生きていると思っています。ですから何の躊躇もなく犯罪人を罰することができるでしょう。しかし自分も心の中で同じ罪を犯していると感じますと、彼も悪人なら自分も悪人だと思わざるを得ません。もちろん、何度も言いますように、心の中で罪を犯すのと実際に罪を犯すのとでは雲泥の差があります。ですから実際に罪を犯した人は、相応の罰を受け、もう二度と罪を犯さないよう誓わなければなりません。その上で言うのですが、悪人であることにおいては彼と自分とは何の差もないと思わざるを得ないのです。
 裁判員裁判も回数を重ね、死刑の求刑がされる案件が出てきました。一般の市民が死刑の判決を出さなければならなくなったのです。この事態はこれまで覆い隠されていた死刑の問題を明るみに出してくれました。これまではプロの裁判官にすべてを委ねていましたので、人が人に向かって「きみは残虐非道な罪を犯したから命で償わなければならない」と宣言することがどういうことかを深く考えずに済んでいたのですが、いざ自分もそう宣言する可能性が出てきましたから、身に引きつけて考えなければならなくなったのです。裁判員裁判の評価はさまざまでしょうが、この点においては大きな意味があったと言うべきです。
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