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12月4日(土) [矛盾について(その128)]

 罪を犯した人はそのままでは許されません。何らかの償いをしなければなりません。割り込みをした人はそのまま見過ごされてはいけません。その人をつかまえ「割り込みしたことをしっかり反省しなさい」と言わなければなりません。イエスは姦淫の罪を犯した女に「今後はもう罪を犯さないように」と反省を促しています。ぼくも裁判員に選ばれたら、罪を犯した人に「あなたは罪を犯しましたから、法に照らして相応の懲罰を受け、反省してもらわなければなりません」と言いましょう。でも「あなたは極悪非道の罪を犯しましたから、あなたの命で償ってもらわなければなりません」とは言えません。どうしても言えません。そう言うことを強く抑止する力が働くのです。
 なぜか。
 刑罰というのは犯した罪に対して反省を迫るものです。小さい頃、悪さをするとご飯抜きで物置に閉じ込められたりしました、「一人になってしっかり反省しなさい」と。これは悪いことをした責任が問われているのです。しかし「命で償いなさい」というのは、悪人であることの責任が問われています。「お前は悪いことをしたから、云々」ではなく、「お前はどうしようもない悪人だから、云々」と言っているのです。なるほど悪人であることの責任を問われたらもう命で償うしかないでしょう。「馬鹿は死ななきゃ治らない」ならぬ「悪人は死ななきゃ治らない」のですから。でも「お前はどうしようもない悪人だから」と言っている当人もどうしようもない悪人だとしたら…。
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