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12月10日(金) [矛盾について(その134)]

「みんな悪人」が無意味でないとしますと、思いがけず与えられたとしか考えられません。求めて与えられたのではありません。もし求めて与えられたのでしたら、それがあることはすでに知っていたことになります。ぼくらが何かを求めるとき、闇雲に求めることはありません。それが何であるか、おぼろげにでも知っていて求めるのです。
我執に閉ざされているぼくらが我執のない世界を知ることができないことは、これまで縷々述べてきました。としますと、それは求めて与えられたのではありません、思いもかけず与えられたのです。考えてみますと、求めて与えられるというのは、実は自分で手に入れることに他なりません。類似の議論はこれまでもしたことがありますが、大事な論点ですので改めて確認しておきましょう。
「老老介護」ということばは痛ましくわが身に迫ってきます。世間ではしばしば介護疲れで心中に走った例が報道されます。そんなとき、どうしてそこまで追い詰められてしまったのか、誰かに助けを求めることができなかったのかと、その短慮を哀れむため息が出てしまうものです。しかし周りの人間が考える以上に本人は必死に助けを求めたかったに違いありません。でもさまざまな事情があって求めることができなかった。
ある人は周りの誰彼に助けを求めることができ、その結果助けてもらえるが、ある人は求めたくても誰もいない、あるいはそのためのお金がない。としますと、これは助けを与えられると言うよりも、助けを手に入れると言うべきではないでしょうか。
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