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矛盾について(その137) ブログトップ

12月13日(月) [矛盾について(その137)]

 「外部から」という点について検討してきました。次に「声がする」という点に進みます。前にこんなことを言いました、ぼくらは遺影に向かって「ただいま」と挨拶することがあるが、それは遺影から「おかえり」の声が聞こえるからだと。ふと遺影に目が行ったとき、微笑む口元から「おかえり」ということばが発せられたような気がして、思わず「ただいま」と声をかけてしまう。もちろん写真がものを言うわけがありません、そんな気がしただけです。でも確かにその声がこころに届いたと感じる。
 これが「どこかから声がする」ということです。そうそうあるわけではありませんが、そんな声が届いたときにはハッとさせられます。遺影がものを言うわけはありません。にもかかわらず声がする。だから不思議なのですが、それはただの気のせいで、自分の中の何かがそう言わせているだけのことではないでしょうか。それは外からきたのではなく、内から出ているのではないか。自分の内なる思いを外に投影しているだけかもしれないということです。不思議な声のすることが病的なもの(例えば統合失調症の幻聴のようなもの)ではないとしまして、それが自分の中から来るのか、それとも外から来るのかを見分ける手立てはあるでしょうか。
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