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12月31日(金) [矛盾について(その155)]

 ひとの力に頼るのは他力ではなく自力だということをみてきました。としますと、他力とは一体何でしょう。カルチャーセンターでこんなふうに問いかけましたところ、ある方が「心臓は頼まれもしないのに休まず働いてくれていますが、それが他力ではないでしょうか」と言われました。思いもかけない答えに、ぼくは「はあ」と間の抜けた声を出していました。そう言われてみますと、太陽も頼まれもしないのに休まずぼくらに光を注いでくれ、そのお蔭でぼくらは生きています。
 しかしこれが他力でしょうか。
 よく「生かされている」ということばを聞きます。ぼくらは自分で生きているように思っているが、とんでもない、生かされているのだと。このことばには確かに真実を感じますが、同時に何か恩着せがましさが匂ってこないでしょうか。あるいは宗教くささと言うのでしょうか。若い人はそこに反発を感じるような気がします。
 ぼくらは心臓や太陽や、その他無数のものたちのお蔭で生きている―これを仏教では縁起と呼びます。何ものもそれ単独で存在しているのではなく、他の無数のものたちと繋がりあって存在している。これが縁起の思想です。これはしかし他力でしょうか。
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