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1月5日(水) [矛盾について(その160)]

 どんなことであれ何かを「する」ときは、それをしようと思ってするのであり、しようと思わなければすることはないということでした。
 さて何かをしようと思うのは、言うまでもなく「わたし」です。何かをしようと思うときには、必ずそこに「わたし」がいます。デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」とはそういうことです。何かを「する」のはそれをしようと思うことであり、何かをしようと思うところには必ず「わたし」がいるのですから、何かを「する」のは必ず「わたし」です。「わたし」のいないところには「する」ことはありません。
 何かを「する」のは「わたし」だということは、「する」ことはすべて自力だということです。前に言いましたように、「自分でする」のが自力で、「ひとに頼る」のが他力だと考えるのが普通です。しかし「ひとに頼る」のも自分の意思でひとに頼ろうとしているのですから、結局「自分でする」ことに他なりません。自分の手でするか、ひとの手を借りてするかの違いで、いずれにしても「自分でする」ことには変わりありません。かくして何かを「する」のはすべて自力です。
 そしてぼくらが生きることは何かを「する」ことであり、ぼくらの日常は「する」ことで覆われているのですから、ぼくらが生きることは自力だということになります。とすると他力とは一体何でしょう。
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