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1月17日(月) [矛盾について(その172)]

 どこかに「いる」のは、前もってそうしようと思うからであるのに対して、この世に「いる」のは、気がついたらすでにこの世にいるのでした。
 「気がついたらすでに」ということで思い出すのは、サルトルの「実存は本質に先立つ」ということばです。ちょっと感傷めいたことを言わせていただきますと、ぼくがまだ若かった頃(全共闘運動の嵐が吹き荒れていた頃です)、ぼくのこころを激しく揺さぶったのがマルクスとサルトルでした。マルクスの「類的存在」とサルトルの「実存」はぼくの中で輝いていました。
 「実存は本質に先だつ」の意味するところを彼はこんなふうに説明してくれます、「人間はまず先に実存し、世界内で出会われ、世界内に不意に姿をあらわし、そのあとで定義されるものだ」(『実存主義はヒューマニズムである』)と。ぼくらは気がついたらすでにこの世にいて、そのあとで「自分は何ものであるか」を定義するということです。
 ここからサルトルは、われらは「何ものである」ことも自由だと主張するのです。前もって「何ものであるか」が定義されていれば自由はありませんが、「何ものであるか」を自分で定義するしかないのですから、ぼくらは根源的に自由であると。
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