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1月18日(火) [矛盾について(その173)]

 サルトルにとって「この世にいる」ことには何の支えもなく、その直下には無の深淵がパックリと口を開いています。だからこそぼくらにはまったき自由があり、その自由を引き受けるところに人間的な生き方がひらかれるとサルトルは言うのです。しかしこれは一切の係累を断ち切られ何のしがらみもなくなったホームレスの自由のようなものではないでしょうか。そこには確かに誰に遠慮することもなく好きに寝て好きに起きる気ままな生活がありますし、寂しければ誰かと繋がりを求めていけばいいのです。そう言えばぼくらの青春時代には「連帯を求めて孤立を怖れず」という格好いいことばがありましたが、これもサルトル的自由を表しているのでしょう。
 「世界内に不意に姿をあらわす」などという言い回しは、たった一人で無の深淵を覗き込んでいるという風情ですが、ぼくが「この世にいる」ことは誰かに認めてもらわなければなりません。サルトルは無の深淵を「覗き込む」のですが、ぼくには「この世にいる」という声がふと「聞こえる」のです。「この世にいる」ことは向こうから聞こえてきてこころにズシンと届くのです。だからこそ、ほんとうにこの世にいると思える。自分で「ぼくはこの世にいる」と百万遍叫んでも腹がへるだけです。ところがたった一遍「こんにちは」という声がどこかからしてきたら、「きみは確かにこの世にいるよ」と聞こえ、それだけで「間違いなくこの世にいる」と実感できるのです。
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