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1月20日(木) [矛盾について(その175)]

 ぼくらの日常は「する」ことで埋めつくされており、そして「する」ことはすべて自力ですから、他力など出る幕がないように思えるというところから話は「いる」ことに進みました。「いる」ことは「する」ことの前提条件です。ぼくらは何を「する」にせよ、この世に「いる」ことが必要です。ただこればっかりは自力では何ともなりません。ふと気がついたときにはすでにこの世にいたのです。
 この世に「いる」ことは頭で「知る」ことではありません、全身で「感じる」ことです。そして感じることはこちらでどうこうできるものではなく、向こうからやってきます。あるとき「ふと」この世に「いる」ことを感じるのです。もちろんそのことを感じないからといって何かができないわけではありません。実際、ぼくらはほとんど「いる」ことなど感じることなく日々さまざまなことをして暮らしています。「する」ことに忙しく「いる」ことは水面下に隠れているのです。
この世にいることと、そのことを感じることは別です。しかし、これは感じることに共通して言えることですが、あることを感じない限り、それは存在しないのと同じです。つまり、この世にいることを感じない限り、この世にいないのと同じです。おいおい、無茶言うなよ、いることを感じないからと言って、いないことにはならないよ、という声が聞こえてきます。
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