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1月21日(金) [矛盾について(その176)]

 この世にいると感じない限り、この世にいないのと同じだと言いました。これにはすぐさま「そんなばかな」という声が飛んでくるに違いありません。
 検討してみましょう。ここに絶世の美女がいるとしてください。でも、どういうわけか本人は自分の美しさに全く気づいていません。そんなとき彼女にとって彼女の美しさは存在しないのではないでしょうか。他の人にはどんなに美しくても、本人は美しいと感じないのですから。
 前に煩悩について似たようなことを言いました。煩悩は、これが煩悩だと気づかなければ、どこにも存在しないと。それは煩悩というのは「見る」ものではなく「感じる」ものだからです。どこかにあると「見る」ものではなく、全身で「感じる」ものだからです。  
 また阪神・淡路大震災の日が巡ってきて、肉親を亡くした人たちの悲しみの声が聞こえてきました。中でも悲痛なのは「わたしは生き残ってしまいました」の声です。震災は誰の所為でもありません、にもかかわらす「わたしが死に、あの子が生き残るべきだった」と自分を責める。しかしそう感じない人には、そんな思いはどこを探してもありません。
 「いる」ことも、いま現にこの世に「いる」と感じなければ、この世に「いる」ことにはなりません。念のために言いますが、この世に「いる」ことではなく、どこかに(自分の部屋に)「いる」ことは「する」ことです。ですから、もしあるところに「いる」と感じないとしても、そこにいないことにはなりません。それは本人が自分はどこにいるのか分からなくなっているだけのことです。
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