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1月24日(月) [矛盾について(その179)]

 この世に居場所があると思えるのは、どこかから「そのまま生きていていい」という声が聞こえるからで、それが日々「する」ことの最終的な支えとなっているのですから、「他力が自力を支えている」ということになります。これはしかしある危惧をもたらすかもしれません。ぼくらの主体性はどこへいってしまうのだろうという危惧です。
 前に、脳死状態になった人とその肉親との間で濃密な対話があるという事実をどう捉えたらいいのかというお話をしました。医学の立場からすれば、それは単なる錯覚、思い込みに過ぎないということになります。脳死状態とは脳の機能が100パーセント止まっているということですから、そこに対話があるはずがありません。そのような主観的な思い込みは、脳死・臓器移植を推進する上で阻害要因になります。
 しかし家族とすれば、目の前に横たわっている父親や娘の脳の働きは止まってしまったかもしれないが、完全に死んでしまったとはとても思えません。心臓は動いていますし、身体は温かいのです。だから話しかけたい、これまで言おうと思っても言えなかったことを言いたいと思う。
 どうして脳の機能が停止してしまった人に話しかけようとするのかという問題提起に、ぼくなら、その人から声が聞こえるからだと答えたいと思います。「ありがとう」かもしれませんし、「すまなかった」かもしれません。とにかく何か声がして、思わずそれに答えてしまうのではないでしょうか。
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