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2月2日(水) [矛盾について(その188)]

 宿業がもつこの二重性はどこから来るのかを考えていこうと思います。
 まず確認しておきたいのは、ぼくらが何かを「する」とき、そこには自らの意思があるということです。どんなことであれ、そうしようと思わなければそうすることはありません。これが自由ということです。
 自由ということばは非常に幅の広い意味をもっていますから、どの意味で使っているかをはっきりさせなければ不毛な議論になってしまいます。いま言っているのは「そうしようと思うからする」という意味で、これがもっとも広義の自由でしょう。
 「あなたがあることをしたのは、あなたがそうしようと思ったからで、それはあなたが自由であるということであり、したがってそのことに対して責任を負わなければなりません」と言うときの自由です。法廷ではしばしばこれが問題となり、被告はほんとうにそうしようと思ってしたのかどうかが争点となります。
 被告はこんなふうに言います、「ぼくは彼を刺そうなどという気はなかったのですが、そのときはもう何が何やら分からなくなって、気がついたら彼の胸にナイフが刺さっていたのです」と。これは犯行時の精神状態の問題で、心神喪失や心神耗弱にあるとみなされますと、責任能力がないか、もしくは弱かったと判定され、無罪となったり減刑されたりします。しかし検察官はこう問うでしょう、「じゃあどうしてあなたの手にナイフが握られていたのか。それはあなたが彼を刺そうと思っていたからではないのですか」と。この辺りは微妙で、精神鑑定も鑑定人によって結果が割れることがしばしばです。
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