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2月4日(金) [矛盾について(その190)]

 「この世に新しいことなど何ひとつない」ということばがありますが、なんの、この世は一瞬一瞬が新しいことだらけです。ぼくがいまパソコンのキーボードでTの文字を叩いたとしますと、そのことによってこれまでの世界が一新されたのです。ぼくがTのキーを叩くのはそれなりの事情があってのことですが、でもぼくが「Tのキーを叩こう」と思わなければ、Tのキーが叩かれることはありません。ぼくが「Tのキーを叩こう」と思うことでこれまでにはなかった新たな世界が出現したのです。ぼくが何かをする度に世界が一新されていく―これは驚くべきことではないでしょうか。
 これが自由ということですが、としますと宿業はどうなるのでしょう。
 宿業とは何か得体の知れない力に動かされているという感覚でした。Tのキーを叩くことだって、自分で「そうしよう」と思ってしているのではなく、何か見えない因縁でそうするべく定まっている。前世の縁などと言いますと荒唐無稽に聞こえるかもしれませんが、因果の鎖で繋がれていると言い換えますと、これは近代科学にも通じます。科学もすべての出来事を原因と結果の連鎖の中で見ようとしますから、ぼくらのすることも因果の繋がりの中にあるのです。ぼくがTのキーを選んだことも、そこには何らかの原因があり、そうするべくしてTのキーを叩いたということになります。としますと「自分の意思で」というのもただそう思っているだけのことで、自由などどこにもありません。ぼくらが何かを「する」とき、そこには「わたし」の意思がなければなりませんが、同時にぼくらの「する」ことは因果の繋がりの中でそうするようにすでに定まっています。
 自由だが必然。
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