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2月8日(火) [矛盾について(その194)]

(不幸事があり、更新が遅れました。)

 ある出来事について「それは何か」を知ろうとするとき、ぼくらは後ろを振り向いて「どうしてその出来事が起こったか」を理解しようとしますから、そこには原因と結果という道具立てが用意されています。この世に起こることはすべて原因と結果の連鎖の中にあり、起こるべくして起こったのです。
 しかし「何をなすべきか」を決断するときは、もちろん出来事についての分析を踏まえてのことですが、もう後ろを振り返ることなく、しっかり前を見据えています。そして「わたし」が「こうしよう」と決めるのです。その決定は事実の分析に基づいてはいますが、そこから自動的に出てくるものではありません。因果の繋がりの中で必然的にそうなったのではなく、「わたし」が自分でそう決めたのです。
 やはり何かを「する」ときは「わたし」がそうしようと思ってしているのであって、どんなことであれ「わたし」がそうしようと思わなければすることはありません。一方、どんなことも原因と結果の連鎖の中にあり、そうなるべくしてなっていると言うときは、ものごとを振り返って見ています。次に何をするべきかを考えようとしているのではなく、すでにしてきたことを振り返って、そこに深い因縁を感じていると言えるでしょう。
 これからどう「する」かと、これまでをどう「見る」か。前者からは自由が、後者からは必然が出てくるのです。
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