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3月1日(火) [矛盾について(その215)]

 「ぼく-きみ」の対称性の問題を考えるとき、おもしろいことに気づきます。日本語にはおびただしい数の人称代名詞がありますが、一人称代名詞と二人称代名詞が互いに転用されているケースが非常に多いということです。本来一人称だったのが、いつの間にか二人称に使われ、その逆に、もともと二人称だったのに、一人称として使われる。
 古いことばは置いても、例えば「われ」という代表的な一人称代名詞は二人称として使われています。「おまえ何をしてる?」を河内弁で言いますと「われ何しとんねん?」となります。もっとおもしろい例として「じぶん」があります。「じぶん」は文字通り自分を指すものと思いますが、関西では相手のことも「じぶん」と言うのです。「じぶんはどう思う?」などと。これには関西圏以外の人は面食らうようです。一瞬何を言われているのか分からずポカンとしてしまう。
 どうして自分を指すことばが相手を指すことばとして使われるようになるのか。そこに何か日本語独特の神秘性があるように見る向きもあるようですが、例えば小さな子に年齢を尋ねるとき「ぼくいくつ?」などと言うことを考えますと、不可解でも何でもありません。小さな子に呼びかけるときに「ぼく」と言うのは、相手が自分のことを「ぼく」と言うからです。こちらの立場からすれば「きみはいくつ?」と言うべきですが、相手の立場に立って「ぼくはいくつ?」と言っているのです。「じぶん」についても同様に考えることができます。「きみはどう思う?」と言うべきところを相手の立場に立ってあげるのです。そうしますと「じぶんはどう思う?」となります。
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