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3月2日(水) [矛盾について(その216)]

 小さな子どもの立場に立って「ぼくいくつ?」と言うように、相手の立場に立つことができることが、コミュニケーションの前提条件です。
 「ぼく」がこう言えば「きみ」はどんなふうに反応するか推測できるからこそ、「ぼく」は「きみ」にいろいろなことを語りかけるのです。これは「ぼく」が「きみ」の立場に立ってものごとを考えているということです。実際に「きみ」がどう思うかは分かりません。「ぼく」の推測は外れ、思いもかけない展開になることもあるでしょう。だからこそ会話をするのがおもしろいのですが、それにしても「きみ」なら多分こう反応するだろうと推し測ることができるから何らかの働きかけをするのであって、もし全く推測できないとしたら、恐ろしくて相手に近づけません。
 一時の学級崩壊のことが頭に浮かびます。先生が「教科書を開けなさい」と言うのに対して、生徒が「なんで?」と返事するとき、学級崩壊が始まっています。先生が「教科書を開けなさい」と言うとき、生徒がどんな反応をするかを予測しています、そう言われたらすぐ教科書を出して指示されているページを開けるものだと。まあ生徒によってはグズグズするものもいるでしょうが、それも想定の範囲内です。ところが「なんで?」となりますと、これはもう先生と生徒の関係そのものが崩壊していると言わざるを得ません。このようにお互いの了解が崩れているところでは、もう会話そのものが成り立たず、何を言っても無駄ということです。
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