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矛盾について(その227) ブログトップ

3月17日(木) [矛盾について(その227)]

 いつでもどこにいても、こころの中に重石が沈んでいる感覚から離れることができません。被災者はその何千倍もの重石を抱えていることでしょう。
 「あなた」の声について考えているのでした。
 ぼくが「あなた」の突然の出現に驚いて、「“そのまま生きていていい”と言ってくれたのはきみかい」とその生徒に尋ねたりすれば、彼は「え、何のことですか?」とビックリすることでしょう。彼はただ「今日の授業はおもしろかった」と思い、それを言わずにいられなくなっただけのことです。それがぼくには「そのまま生きていていい」と聞こえた。そう聞こえたのはぼくだけで、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」という声が聞こえたのはパウロだけだったのと同じです。しかし決定的に違うのは、「サウロ、サウロ」の呼びかけは外部からきているのに、「そのまま生きていていい」の声は目の前の「あなた」からきているということです。
 「外部から」と「あなたから」とはどう違うかと言いますと、前者は「声はすれども姿は見えず」で、周りにいる人はもちろん、本人にもどこから声がするのか分かりません。ところが後者は声がどこから来るのかははっきりしています。目の前にいる「きみ」から来るのです。ただ「きみ」は「先生、今日の授業おもしろかった」と言っただけです。にもかかわらずそれがぼくには「そのまま生きていていい」と聞こえる。「きみ」はそんなことを言った覚えは全くないのに、ぼくには確かにそう聞こえるのです。そしてそのとき「きみ」はぼくの「あなた」となったのです。ですから「きみ」とは別にどこかに「あなた」がいるわけではありません。「あなた」とは「きみ」のことです。

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