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矛盾について(その229) ブログトップ

3月19日(土) [矛盾について(その229)]

 イエスのことを考えてみましょう。
 彼はナザレという町の大工ヨセフの息子です。子どもの頃からイエスを知っている人たちにとって彼はひとりの大工にすぎません。「あいつがキリストだって?あいつは大工じゃないか」、これが郷里の人たちの反応でした。マルコ福音書は彼が郷里に帰ったときのことをこう記しています、「“この人は大工ではないか。マリアのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいるではないか”。こうして彼らはイエスにつまずいた」と。ユダヤ人にとってキリストとは自分たちを苦難から救い出してくれる特別な存在です。それがあの大工イエスだなんて…。
 「あなた」とキリストの違いは明らかです。イエスが誰かの「あなた」となるのに大工であることは何の差し障りもありません。そもそも誰が「あなた」となるかは全く分からないのです。王であろうと乞食であろうと「あなた」であることにおいて何の違いもありません。でもイエスがキリストであることにとって大工であることは大きな障害となるでしょう。十字架上のイエスの頭上には「ユダヤ人の王」と記された罪状書きがはりつけられ嘲笑されたとあります。大工であることとユダヤ人の王であることとの間には大きな懸隔があるのです。

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