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矛盾について(その239) ブログトップ

3月29日(火) [矛盾について(その239)]

 改めて「いる」ことの不安とは何かを確認しておきますと、何の支えもなく、いわば無の中にぽっかり浮かんでいるという「寄る辺なさ」のことでした。
 ぼくにはこんなイメージが広がります。ぼくひとりだけ乗っている宇宙船がトラブルを起こしてコントロールがきかなくなり、地球との交信も途絶えてしまいました。宇宙船はものすごいスピードでどんどん地球から遠ざかっていきます。船内の生命維持装置は作動していますから、当分は生きながらえることができるでしょうが、繋がりを絶たれて無限の宇宙を彷徨うこの不安は耐えがたいものがあります。
 ぼくが「いまいる」ことは間違いありません。デカルトが言うように、「われあり」ほど確かなことはありません。でもそれを他の誰も確認することができないのです。ぼくが「いる」ことは誰かがそれを受け止めてくれないとほんとうに「いる」ことになりません。そんなとき船内のエネルギーが切れて生命維持装置が作動しなくなることがどんなにか恐怖に感じられることでしょう。自分がそのうちほんとうに「いなくなる」ことがどんなにか怖いでしょう。このまま地球から遠ざかりながら「消えてしまう」ことは気が狂いそうになるほど恐ろしいことでしょう。
 「いまいる」ことが不安だから、「いずれいなくなる」ことが耐えがたく怖いのです。

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