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矛盾について(その245) ブログトップ

4月4日(月) [矛盾について(その245)]

 スピリチュアル系の友人が言うのは、キュブラー=ロスの証言にぼくが傍からいちゃもんをつけるのは不遜だということです。彼女がある神秘的な体験をしたと言っているのだから、それは尊重すべきではないかと。そのような体験を信じられないからといって、それを否定することはできないということです。繰り返しになりますが、ぼくは誰かが神秘的な体験をすること自体を否定しているのではありません、ただそれがほんとうに神秘的な出来事であるかどうかに疑問を持つのです。そのような疑問を持つことが不遜であるとしますと、ひとの言うことに横から口出しするなということになります。「ぼくはぼく、きみはきみ」で、内政に干渉すべからず、です。
 科学はひとつの「物語」、宗教もまた別の「物語」としますと、こうした悪しき相対主義に陥るのではないでしょうか。
 民主主義は、ひとそれぞれの考え方を尊重しよう、この考え方は正しくこれは間違っていると決め付けないようにしよう、という立場ですからもともと相対主義的です。これは大事なことで、絶対的真理にたてつくことはまかりならんという時代に戻ることはできません。こんなふうに、「ひとそれぞれ」まではいいのですが、そこから「だからしっかり話し合おう」となるか、それとも「だから話し合ったって仕方がない」となるか、ここに大きな分かれ道があります。前者は、互いがどこでどう違うのかを明らかにしながら、双方が納得できる正しさを見いだしていこうとします。一方、後者が「悪しき相対主義」で、互いの立脚点が違うのだから話し合いそのものが無意味だとします。

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